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名古屋地方裁判所 昭和52年(ワ)3147号 判決

原告

坂本紀子

坂本俊成

坂本健

右俊成、健法定代理人親権者母

坂本紀子

右原告ら訴訟代理人弁護士

寺澤弘

(ほか四名)

被告

住友林業株式会社

右代表者代表取締役

山崎完

右訴訟代理人弁護士

池田俊

(ほか二名)

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告ら

(一)  被告は原告らに対し、各金八〇〇万円及びこれに対する昭和五三年一月一三日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員の支払をせよ。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行宣言

二  被告

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  当事者

原告坂本紀子(以下紀子という)は坂本秀夫(以下秀夫という)の妻であり、原告坂本俊成(以下俊成という)、同坂本健(以下健という)は秀夫の子である。

(二)  労働契約

秀夫は被告との間に昭和三三年三月二四日労働契約を締結して入社し、昭和五一年一二月一日からは被告仙台支店(以下仙台支店という)建材課々長補佐に任ぜられ、同月九日同支店に着任し、同五二年五月七日まで同支店に勤務していた。

(三)  秀夫の死亡と死因

1 秀夫は昭和五二年五月七日午後七時頃、仙台市南小泉字五ツ谷二番地の自宅において、急性心筋梗塞で死亡した(当時三七才)。急性心筋梗塞は冠動脈の循環障害によって心筋が壊死に陥った状態であるが、その原因として普通みられるのは冠動脈硬化症である。冠動脈硬化症にかかり易く、従って心筋梗塞を起し易い重要な誘因の一つに情動ストレスなどの精神的負荷、身体運動不足がある。

2 秀夫は後に詳述するとおり、仙台支店建材部門最高責任者という精神的負荷を生み易い職務に従事していただけでなく、現に肉体的疲労を伴い、精神的負荷を生む激務を遂行し、その結果慢性的に精神的負荷を負担し、かつこれらの負荷が継続、蓄積し、更にその生活環境の変化が仙台支店への転任後加わったことなど、同支店下での新職務遂行が心筋梗塞の原因となり、又は少くとも心筋梗塞の原因と考えられる冠動脈硬化症の原因となって死亡した。特に積極的、仕事いちず等で特徴づけられる行動型の人間は社会的、経済的ストレスが大きく、冠動脈硬化症にかかり易いところ、秀夫は責任感が極めて強く、職務熱心であり、右疾患にかかり易い体質であったし、又秀夫はその死の六か月前である昭和五一年一二月九日仙台支店に着任し、以後約一か月半の間、被告の社宅の配備の不十分さから、単身生活を余儀なくされ、併せて後記のような精神的ストレスのより大きな職務を担当し、その間度々の遠方出張、夜毎の接待等肉体的、精神的疲労を継続、蓄積させる職務の遂行を余儀なくされ、それ以前の職務内容、職務遂行条件を全く一変し、しかもそれ以前に比し、絶大な精神的ストレスと同時に肉体的疲労をも伴うという二重の負荷を負担させられる職務に従事せざるをえなくなったのであった。

3 秀夫は前記のとおりの苛酷な労働条件のため、定期的に身体運動を行う時間的余裕がなく、それも冠動脈硬化症の一因になった。

4 以上を要するに仙台支店における秀夫の苛酷な職務遂行が同人の死因であることは明らかであるところ、同人の職務の実態を詳述すると以下のとおりである。

(1) 仙台支店における秀夫の一般的職務内容と勤務実態

同支店は、東北地方六県(青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島)をその管掌範囲とし、下位の出張所としては、盛岡出張所が存するのみであった。同支店の事業活動はそのため気象条件の厳しい広域の交通不便な東北地方六県下に及んだ。同支店建材課は住宅資材及び部材について、東北地方六県下全域において顧客への販売、取引先拡張、住宅関連業者との折衝等々の営業活動を担当していたが、販売実績、債権回収実績について厳しい基準量(いわゆるノルマ)が同課にも課せられ、秀夫は同支店建材課の課長補佐として業務全体に配慮しなければならない外、直接に以下の職務を行っていた(なお支店の全体的立場としては(イ)建材部門の総括、課員の指揮、監督、(ロ)建材の営業に関する事項についての全体的配慮と重要事項の立案、実行、情報の収集、集約等をなし、上司である支店長は秀夫の十分把握した情報に基づく、計画、立案を決裁するにすぎず、秀夫の職務が、支店建材部門の命運を左右するものとして、熟慮と決断を最も要した。)。

(2)(イ) (サッシセンター関係)

秀夫は主として被告代理店により構成される各地サッシセンター部門を直接担当していた。当時サッシ業界全体が不況のため、これらサッシセンターは苦しい経営を続けており、同人が前任者から引継いだ時点で各センターは営業上多額の損失を出していた。そのため秀夫の販売利益拡大の任務は重く、従って毎月の販売ノルマ達成を強いられ、サッシセンターの再建に協力し、未回収売掛金の取立に力を入れねばならなかった。更に前記各代理店は、被告と競業関係にある業者とも取引していたためその競争に打ちかつ苦心もあった。しかも右各サッシセンター各代理店は、東北地方各地に点在していたので秀夫自身直接出張しなければならないことが多かったし、右サッシセンターは被告代理店を集約しているため、同課の営業実績を上げるためには最も有効な方法であったので、新規サッシセンターの設立は、同課営業活動中重要な位置を占めていたところ、秀夫はサッシセンター担当者として各地にサッシセンターを設立すべく、関係業者と打合協議することもまた重要な職務の一つであった。

(ロ) (山協産業債権回収関係)

被告は山形市所在の山協産業株式会社(以下山協という)に対し、昭和五一年一二月二八日現在一八億五五〇〇万円の債権を有していたが、同社はその頃経営に行きづまり、私的整理手続が進行していたところ、秀夫が直接この問題を担当していたため、整理の基本方針の立案、債権者委員会出席(山形市)、他の債権者より有利に債権回収をはかるべく緊張した債権者委員会等の席上で発言したり、会議内外で情報収集し、他方個人保証契約の締結を求めるなど奮斗しなければならなかった。

(ハ) (販売拡大、債権取立関係)

(ニ) (出張の多いこと。休日稼働。時間外労働。)

ⅰ 秀夫は昭和五二年一月から四月にかけて別表(略)第一の一ないし四のとおり出張したが、(ⅰ)二つ以上の県にわたり、それも端から端、又は太平洋岸から日本海岸までのものが、昭和五二年一月一一日ないし一三日(以下いずれも昭和五二年)、二月一日、二日、同月二五日ないし二七日、三月一四日ないし一六日、四月一三日ないし一五日、同月二六日ないし二八日とあり、(ⅱ)連続しての出張が一月一九、二〇日、二月一日ないし四日、同月七、八日、同月一四日、一五日、同月二二日ないし二七日、四月二一日ないし二三日とあるように、一時に広範囲に出張するか、二日以上連続して出張しているかのいずれである。特に同年四月中旬以降の出張頻度は異常でさえあるのである。

ⅱ 各月の休日に対する秀夫の実休日数は次の通りである。

〈省略〉

昭和五二年四月においては、被告公休日である土曜日、日曜日に出勤すること四日に及び一三日間の出張勤務は総て自動車使用によるもので、特に同月一三日より三〇日までの間四日間だけ同支店で執務しただけで、その余は泊りがけの出張であり、同月一三日から一五日、同月二六日から二八日までの各出張は広範囲、多目的、かつ強行日程であった。そのため秀夫の疲労はこのころから心身ともにより一層激しくなった。

又同支店で執務する時でも、売掛金回収状況の把握、或いは取引先との打合わせ、折衝、接待など精神的、肉体的に疲労の多い仕事に従事させられていたのである。秀夫は営業担当であり、デスクワークが仕事でなく、販売拡大と債権回収が職務なのであって、在社時間だけが実際の勤務時間ではなく、在社時間外に接待、交渉をすることもまたその職務上当然のこととされ、そのため同支店での退社定時刻までの執務でもって帰宅したのは月のうち数日にすぎず、その余は退社定時刻後も出張又は接待等の職務に従事していたのである。しかも帰宅後は勿論、休みで在宅しているときにも、秀夫は常に右職務のことに頭を悩まし、精神的に頭を休めることなど全くなかったのである。

(四)  被告の責任

被告は、秀夫と労働契約を結んだのであるから、秀夫をして、その職務を遂行させるにあたり、労働条件の改善を通じて職場における秀夫の健康及び安全を確保する義務(健康管理、安全確保義務)を負担した。その義務及びその違反の詳細は後記のとおりであるが、被告は右安全確保義務を不注意により怠り、その結果、秀夫の生命を侵害したものであるから、不法行為又は債務不履行により秀夫およびその遺族に生じた後記損害を原告らに賠償すべき責任がある。

1 軽減義務

前記の如き苛酷な労働の継続的賦課は、原告(ママ)の健康を害するに至るであろうことが明らかであるから、被告は秀夫の精神的、肉体的負荷が蓄積して行くのを軽減、解消するための措置を講ずる義務があったのにこれを怠った。建材部門は昭和三七年に設置された後発の部門で安定した取引先がなく、行動力が要求される上、得意先も零細で、数が多く、仕事の量も多いという特殊性があり、仙台支店建材部門の所轄得意先は、東北六県全域にまたがる上、いずれも交通の便が悪く、その訪問には自動車運転等による出張を余儀なくされ、秀夫は別表第一の一ないし四のとおり、内勤に比して出張勤務の占める割合が多く、そのため秀夫が総括責任者という立場から精神的、肉体的負担が大きくかつ継続していたことは前記のとおりである。

そして右秀夫の職務内容の苛酷であることは被告においては知悉していたし、秀夫の健康を害するに至るであろうことは十分予見できたわけであり、特に秀夫は昭和五二年四月頃には、頬の肉が落ち、まぶたに浮腫が生ずるようになり、更に体格がL寸からM寸になるなど外見から判別しうるように、その容貌体格に変化が生じるに至ったため、同人の肉体的、精神的疲労が外観上判然としていたわけであるから、被告としては、出張を軽減するとか、或いは建材部門の人員配置を増加し、秀夫の担当職務を軽減するなどし、同人の健康管理に万全の配慮をすべき義務があったにも拘らずこれを怠り、昭和五二年四月においても、前記のとおり一層苛酷な出張等の職務を遂行させ、同人を死に至らしめた。又身体運動の不足も秀夫の職務を被告が軽減すれば時間的余裕ができてこれを解消しえたことは明らかである。

2(1) 被告は健康診断においても、単に形式的に行うのでなく、精神的ストレス、肉体的疲労を生む職務に従事している職員もいることであることから、循環器系統の疾患、或いは危険因子を予見しうる内容の健康診断を実施していれば秀夫の死は防止しえたのである。にも拘らず、秀夫に対しては昭和四六年六月二日以来六年間も健康診断すら全く実施していなかった。

(2) 労働者の健康管理とは、要するに労働者が職務に従事したことによりその生命、健康が阻害されることがないように保護することをいうのであるが、その内容は労働者が職務の遂行により生命、健康が害されることを予防したり、或は職務の遂行により生命、健康を害しているおそれがあるときは、右被害の軽減、解消をはかる措置をとることである。そして健康診断とは右労働者の健康状態を知るための手段にすぎないのであって、健康管理において意味があるのは、労働者の職務遂行に伴う健康状態を良好に保つことであって、健康診断はあくまでそのための手段にすぎない。そのため健康診断を実施するまでもなく、職務遂行によって健康を害されていることが窺いうる労働者に対しては、その害された健康状態に即応した措置、即ち本件においては、前述したような軽減措置を即刻とることが先ず考えられるべきことであって、健康診断は、右のような健康状態を知るための手段的、副次的なものにすぎない。

(3) 本件において、被告は仙台支店において、昭和五二年四月二一日及び二二日それぞれ午前一一時からと午後二時から定期健康診断を実施したところ、秀夫はこれを受診していないが、それは秀夫が同月二一日には福島市に、又同月二二日は午前一〇時から一泊でいわき市に、それぞれ出張していたためである。定期健康診断日に職務遂行のため受診しえなかった者に対しては代替日を指定して受診させることが必要不可欠のはずである。ところが、仙台支店のこの点についての体制は健康診断日のわずか一週間前に文書で健康診断の実施を通知し、そして診断日に都合の悪い者に対しては代替日についての告知もなく、更に職務遂行のため都合がつかなかった秀夫に対して、具体的に代替日を指定し、当該日は職務遂行をやめさせて確実に受診させるべきところ、このような体制をとらず、現に秀夫には右健康診断日の後は休日(同月二四日)、出張(同月二六日ないし二八日)、休日(同月二九、三〇日)と続かせ、そもそも秀夫のために健康診断代替日が設定されなかったのみならず、秀夫に与えられた職務のスケジュールは健康診断代替日をとることができないものであった。

結局被告は健康診断の受診は個人の問題とし、健康診断日に出張を命じ(支店長の決裁により)、更に具体的に代替日を設定して受診を指示することはなく、秀夫に健康診断を受けられないままその職務に精励せしめていた。

(4) ところで被告が実施した右健康診断においては、内診、血沈、視力、身長、体重、レソトゲンのみであって、これだけでは冠疾患危険因子の存在を予知し、冠動脈疾患の有無を見出すにはきわめて不十分であり、尿検査では糖尿病、血圧検査では高血圧という一部の冠疾患危険因子を知ることができるにすぎないのであって、秀夫の死因と認められる冠動脈硬化症罹患の有無を調べるためには、心電図検査が必要であり、又冠疾患危険因子の有無を調べるためには血清コレステロール値測定(以上、素因のうち疾患的因子の解明)が必要であり、又食餌、喫煙、体調などについての詳細な問診が必要(以上、素因のうち生活的因子の解明)であって、秀夫が急性心筋梗塞により急死することを防ぐためには、被告は健康診断において心電図検査、詳細な問診、血清コレステロール値測定も行うべきであった。ところが被告が心電図測定、血清コレステロール値測定をしていないことは明白な事実であり、健康診断で詳細な問診がなされたことの主張立証もない。更に右健康診断は主に呼吸器疾患(結核)と消化器疾患(胃ガン)についてのものと認められ、循環器系疾患については殆ど意識していないことが明らかである。要するに被告の実施した右健康診断は、労働安全衛生規則四四条一項に規定する検査を実施したにすぎないのであって、これだけでは本件の如き精神的、肉体的負荷を伴い、かつそれが蓄積しやすい職務に従事する労働者に対する健康診断としては不十分といわなければならず、右循環器系疾患に関する検査、問診をも必要とするというべきである。労働者の健康診断は、健康管理の一つとして使用者の安全配慮義務の一部をなすものである。そしてこの安全配慮義務の具体的内容は、職務、地位及び安全配慮義務が問題となる具体的状況等によって異るべきものであって、右規則はその最低限度を規定するにすぎず、本件に即していえば、秀夫の職種(建材部門営業担当)、地位(仙台支店課長補佐―同支店同部門総括責任者)、具体的状況(前記の通り精神的、肉体的負荷を生む職務に従事している上、東北六県全域にわたり出張をくり返し、肉体的にも疲労していた)からすれば、精神的、肉体的負荷による疲労が職務遂行過程で問題となる状況下にあったのであるから、冠疾患危険因子の存在が考えられるのであって、右危険因子の有無を調査することが安全(健康)配慮義務として必要というべきである。従って被告は健康診断において右心電図測定、血清コレステロール値測定、詳細な問診を実施しなければならなかったにも拘らず、これらを全く実施していなかった点過失がある。

(五)  損害

1 秀夫に生じた損害 四九八三万八〇二二円

(1) 逸失利益 四六八三万八〇二二円

次のとおり算定される。

(イ) 昭和五一年度年収 五三〇万九〇八五円

(ロ) 就労可能年数 一八年

(ハ) 生活費控除 三〇パーセント

(ニ) 年五分の中間利息控除 ホフマン式計算による

(ホ) 計算式

5,309,085×(1-30/100)×12.6032=46,838,022

(2) 秀夫の慰藉料 三〇〇万円

2 原告ら固有の損害

(1) 原告紀子分 四六二万七〇六六円

(イ) 葬儀費 六二万七〇六六円

(ロ) 固有の慰藉料 四〇〇万円

(2) 原告俊成及び同健分

固有の慰藉料 各四〇〇万円

3 原告らの損害賠償請求権

(1) 原告紀子分 一九一三万八五四〇円

1の法定相続分一六六一万二六七四円と2(1)の合計二一二三万九七四〇円から、既に支払を受けた(イ)厚生年金及び遺族年金五四万一二〇〇円(ロ)弔慰金一五六万円を控除した一九一三万八五四〇円

(2) 原告俊成及び同健分 各二〇六一万二六七四円

1の法定相続分一六六一万二六七四円と2(2)の四〇〇万円の合計

(六)  結び

よって原告らは被告に対し、不法行為又は債務不履行に基づきそれぞれ前記損害のうち八〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五三年一月一三日から支払ずみに至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁及び抗弁

(一)  答弁

1 請求原因(一)は認める。

2 同(二)のうち労働契約締結日は否認し、その余は認める。労働契約締結日は昭和三三年四月一日である。なお仙台支店建材課々長補佐は、正確には仙台支店建材担当課長補佐である。

3 同(三)1、2、3のうち、秀夫が原告主張の日にその主張の場所で死亡したことは認め、その余は否認する。

秀夫の死亡と被告における業務との間に何らの因果関係もない。

4(1)のうち、仙台支店は東北地方六県をその管掌範囲とすること、盛岡出張所を有すること、同支店建材課は住宅資材及び部材について管掌範囲の顧客への販売、仕入を担当し、秀夫は課長補佐として右課の管理業務を担当していたことは認めるがその余は争う。

課長補佐としての職務は支店長の指示に基づいて、課員の営業活動を指揮、監督することが主たる任務であり、日常の仕入、販売、新規取引先の開拓等の営業活動は、当時四名いた各男子課員が各担当毎に直接処理しており、又重要事項については、支店長、課長補佐、課員が一体となって協議の上、最終的決断は支店長においてなしており、秀夫が建材部門の営業活動上の事項につき、一人で決断して最終的な判断をするわけではなく、又到底なしうる立場にもなかったものであって、同人は他の同様の職責にある被告の社員が遂行している内容と同程度の職務をなすごく普通のサラリーマンとして勤務していたものである。

4(2)(イ)(サッシセンター関係について)

否認する。

直接には課員が担当しており、秀夫は右課員に対する指導、監督の立場にあったものである。各サッシセンターが利益面で低迷していた事実はあるが、創業間もないところが多く、業界一般の傾向であった上、季節的な要因も重なっていたものであるが、被告のみならず、メーカーの三協アルミニウム工業(以下三協という)及び資本参加している地元業者が一体となって改善策等を検討していたもので、秀夫のみにその改善が課せられたものではない。よってサッシセンターの問題で秀夫に特別な業務が課せられたことはないので、その点で秀夫が心身を労することもなかった。

被告は三協より仕入れたサッシをサッシセンターに販売するシステムをとっていたので、サッシセンターに参加している地元の各代理店に被告が直接販売することはなかった。従って被告としてはサッシセンターへの売掛金の回収等は建材部門の重要な職務ではあったが、サッシセンターに参加している各代理店への販売拡大、債権回収等はおこりえないことで、その点で秀夫が心身を労することもなかった。又仙台支店管内のサッシセンターは秀夫の着任時に既に七店存在し、利益面で低迷していたこともあって、当時の仙台支店の方針としては、これ以上積極的に設立することはみあわせていたので、秀夫が新規サッシセンター設立のため職務を担当することはなかった。

4(2)(ロ)(山協関係について)

山協が原告主張のとおり昭和五一年一二月までに事実上倒産し、任意整理に入ったことは認める。その余は否認する。当時被告は約一億六七〇〇万円の債権を有していた。山協は、秀夫の着任(昭和五一年一二月九日頃)前に倒産し、整理手続がとられていたものであるので、秀夫には直接関係なく、既に東京本社総務部の指揮を受けて仙台支店の総務部門の担当で処理されていたものであって、同人は右問題についての一応の引継は受けているが、困難な判断が要求されるようなことはなく、昭和五一年一二月から昭和五二年四月に至るまで二七回に及ぶ債権者集会や打合わせ会が主として山形市内において開かれたが、秀夫が出席したのは右のうち五回のみである。又右にからむ個人保証契約の締結についても同人は何ら関与せず、仙台支店総務においてとり進めたものである。

4(2)(ハ)(販売拡大と売掛金回収について)

企業としては当然の業務であり、課員、課長補佐、支店長がそれぞれの権限と責任の範囲内において分担してなしているものであり、秀夫のみにことさら課された任務ではない。

4(2)(ニ)(出張の多いこと、休日稼働、時間外労働について)

秀夫の職務が比較的出張の多かったことは事実であるが、これも営業関係の社員の中で特に多いというわけのものではなく、後記のとおり休日も適当にとっており、休養も十分とれていたものであって、秀夫の仕事が特に肉体的、精神的に疲労の多い仕事であったわけではない。四月二六日から二八日までの出張は、課員及び取引先も同行しており、運転も交代で行ったものであるので、秀夫だけが疲労する状態におかれたものではない。しかも右出張から帰ってからは、四月末から五月初にかけて、ゴールデンウイークの休日が連続しており、十分休養がとれている。更に出張の点についても、支店長その他社員もかなりの程度の出張はしており、秀夫にのみ課されたものではない。又同人が自動車による出張を何度かしている点についても、被告において自動車による出張を課しているものではなく、本人の自由であって自動車好きの秀夫がたまたま自動車をかなりの程度に利用していたにすぎない。現に仙台支店においては、同人ともう一名の社員が自動車を利用したことがあったが、他は列車で出張していた。

被告は完全週休二日制を採用しており、秀夫の仙台支店勤務中の定休日数はほぼ原告主張のとおり(但し二月は七日)秀夫は十分に休養のとれる日数を休んでいる。四月の出張日数は一二日である。被告での拘束時間が特に長いこともなかった。又年末年始の休みについても、仙台支店では各社員の希望をきき、お互いのスケジュールを調整し、着任後間もない秀夫はかなり長期の休暇をとっている。

4 同(四)のうち法律上使用者に課せられた限度で義務を負うことは認め、その余は争う。秀夫は仙台支店の営業部門担当の普通のサラリーマンとして、元気に勤務していたものであり、社交家で、マージャン、ゴルフ、飲酒等も好み、長年ボーイスカウトの活動家として鍛えた身体を誇りとして、快活に務めていたもので、その間病気による休暇を求めることもなく、身体の不調を上司、同僚等にも訴えたこともない。よって突然の訃報に接した上司、同僚等は全てあんなに元気であったのにと驚いた次第であった。現に死亡直前の、四月二三日のいわきカントリークラブでの懇親ゴルフコンペにも、秀夫は幹事役として参加し、元気にプレーしていた。右事実や、秀夫が死亡直前のゴールデンウイークに家族でドライブに行ったり、死亡当日は被告は休日であり、妻の原告紀子は知人の引越の手伝いのため上京中であったこと等から考えても秀夫の死亡が同居の家族すら想像もできない突然のものであって、ましてや被告における上司や同僚は到底予想しえなかったもので、被告が秀夫の死亡を予見しえなかったとしても、被告には何らの過失もない。

5 同(五)のうち、昭和五一年度の年収が五三〇万九〇八五円であったこと、原告紀子が厚生年金及び遺族年金五四万一二〇〇円、弔慰金一五六万円を受領したことを認め、その余は否認する。

(二)  被告の抗弁

1 免責(原告の債務不履行の主張に対して)

(1) 前記請求原因に対する被告の答弁(一)4記載のとおり秀夫の死は突然のものであり、被告においてとうてい予見し得べきものではなかった。

(2) 被告では、原則として年二回(但し店所によっては年一回の所もある)、一人当り所要時間二〇分位で、内診、胸部エックス線、血圧、尿検査、視力検査等を内容とする健康診断を実施しており、右実施日は事前に回覧によって従業員全員に通知している。業務の都合その他の事由によって健康診断実施日当日受診不可能な者に対しては、原則として代替日を指定しており、精密検査を要する者に対しては、その実施をなし、要治療者に対しては治療するまで加療させることにしており、又医師の判断により療養入院させることもある。

(3) 秀夫の健康診断受診状況は別表第2の1及び2のとおりであるが、同人は社交性に富み、常日頃からボーイスカウトで心身を鍛えていたから健康には自信があるとの発言が多く、昭和四六年六月以降健康診断を受診した記録が見られないが、健康診断実施日及び代替日は事前に通知している上に、所要時間も二〇分前後であるので、宿泊出張の日以外は同人に受診する気さえあれば受診できたはずである。実施日当日は従業員各自誘い合わせて受診するよう、十分その機会を与えていた。現に仙台支店においても、支店長が秀夫を受診に誘っており、殆どの従業員は受診している。

(4) 被告従業員山崎源健外九名の昭和四七年以降の健康診断受診状況は別表第3のとおりであり、同人らの受診状況との対比においても秀夫の受診状況が異常なものであり、秀夫の自己の健康に対する過信によって、自己の都合で受診を怠ったものであることは明らかである。その他被告では、職場体操の実施、各種レクリエーションの行事など従業員の健康管理に留意している。

よって従業員に対する健康管理についても被告には何ら非難されるべき事由はない。

2 填補

被告は原告主張分の外退職金、退職賞与金合計五七七万一〇〇〇円を支払った。

三  抗弁に対する原告の答弁

(一)  免責の抗弁に対し

1 (1)は否認する。死亡当日、秀夫は原告紀子と共に被告従業員加堂の家族の海外移住のための引越の手伝に行く予定であったが、秀夫の疲労状態が余りに激しかったので、原告紀子が同行を思い止まらせて休養することを勧めたため、秀夫は自宅に留まり休養することとなり原告紀子のみ上京したものである。

「いわきカントリークラブ」の懇親ゴルフはPC板協会東北支部会に出席のため出張中のものであり、職務延長上の行事参加である。

(2)は不知、(3)のうち健康診断状況別表第2の1、2の事実は不知、その余は否認する。(4)は否認する。

(二)  填補の抗弁に対し

抗弁2は認める(但し本訴請求外である)。

第三証拠関係(略)

理由

一  請求の原因(一)、同(二)(労働契約締結日を除く)、同(三)のうち秀夫が原告主張の日、その主張の場所で死亡したことは当事者間に争いがない。

二  (証拠略)を総合すると以下の事実が認められ、(人証略)中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  仙台支店は昭和五一年四月に、仙台営業所が支店に昇格したものであって、総員約二〇名で発足し、その管轄区域は東北地方六県に及び、その外盛岡出張所があった。仙台支店の事業活動の範囲は、気象条件が厳しく、広域で交通不便であった。総務部門と営業部門(国内材部門と建材部門)とに分かれていたが、課制はなく、支店長の下に総務担当、国内材担当、建材担当とに分かれていた。秀夫は昭和五一年一二月九日東京から仙台支店に転勤し、建材担当課長補佐の仕事についた。建材担当は、秀夫の管理するところであって、他に課長がおかれているわけではなく、秀夫はその中心的立場にあった。秀夫の在職中建材担当に属する者は秀夫を含め八名位であったが、そのうち男子は四名で、営業的活動は主として男子が担当し、女子は補助的仕事に従事していた。建材担当は住宅資材及び部材について管掌範囲の顧客への販売、仕入を担当したが、得意先が多く、零細企業相手の面がある反面、建材部門は昭和三七年に設立された新しい部門であるから、他の部門に比し、神経を使ったり、行動力が要請される分野であった。

課長補佐としての職務は支店長の指示に基づいて課員の営業活動を指揮監督することにあり、日常の仕入、販売、新規取引先の開拓等の営業活動は、部下の男子課員四名と共に処理し、重要事項については、支店長、秀夫、その他の課員が協議の上行い最終的決断は支店長がすることになってはいたものの、実際上は全体的に秀夫が建材部門を総括し、課員を指揮、督励しつつ、重要事項の立案、実行、情報の収集、整理等に当り、献身的に職務を遂行した。そしてその内容には立場上熟慮、決断を要することも多かった(以上の事実のうち仙台支店の管轄区域は東北地方六県に及び、その外盛岡出張所があったこと、秀夫が原告主張の日に仙台支店に転勤しその主張の職務についたこと、建材担当者は住宅資材及び部材について管掌範囲の顧客への販売、仕入れを担当し、秀夫は課長補佐としてその管理業務を担当していたことは当事者間に争いがない。)。

その外に秀夫が具体的に担当していた仕事のうち主なものに次のようなものがあった。

1  (サッシセンター関係)

建材部門は、木質建材、金属建材、窯業建材と住宅機器の四つに分かれており、金属部門の中にアルミサッシ部門があって、アルミサッシを扱っていた。

被告はサッシメーカーとしては三協とのみ取引し、三協と被告が約半分の株式を持ち、残り半分の株式を地元建材店、材木店、ガラス店などが持つことで会社組織のサッシセンターが作られ、管轄地域内に七、八社の右センターがあった。そして三協から被告がサッシの部材を仕入れ、これを右サッシセンターに販売し、サッシセンターはこれを代理店に販売することになっていた(代理店は注文に基づきいろいろの規格にガラスを切り、組立をし、代理店が大工、工務店から注文を受けて現場に持って行く。)。代理店に被告から直接サッシを売るということはなかった。秀夫が仙台支店在勤中サッシセンターは全般的に経営が苦しい状態にあり、損失を出しているところも多かった。その原因は創立間もないための赤字もあったが、それのみでもなく、季節的赤字というものでもなかった。そのため、秀夫は被告側責任者としてサッシセンター関係の業績向上のため苦心し、かつ各代理店は被告と競業関係にある業者とも取引していたためその競争に打ちかつ必要もあり、各サッシセンターを直接訪問して営業実態を把握し、販売拡大のための提案などをし、各サッシセンター構成代理店を訪れ被告のための営業活動をし、更に被告の販売拡大のためまだサッシセンターのない地域にサッシセンターを設立すべく活動し、大館市にサッシセンターを設立する運びまでしていた(この点につき被告は、サッシセンター関係について秀夫は単に課員の指導監督的立場にあり、同人のみが業績改善の責任を負わせられていたものでもないし、そのために心身を労したこともないと主張するが、前掲証拠によれば、秀夫は被告側の責任者として、かつ毎月一定の業績を達成すべき被用者として相当の心理的強制を強いられていたことを推察することができる。)。

2  (山協関係)

昭和五一年一二月頃までに、山協が倒産して任意整理手続が行われていたが、当時被告は山協に対し一八億円余の債権を有していた(山協が一二月頃までに倒産して任意整理手続が行われていたことは当事者間に争いがない。)。右手続は最終的に和議が成立し解決されたが、右問題は東京本社の総務部の指揮を受け、仙台支店の総務部門が主としてその処理に当った。秀夫は仙台支店に同年一二月から着任し、引継を受け、営業部門関係者として右問題に参画し、社内打合せ、債権者集会に出席、情報収集、整理等にあたり、現場担当者としてその債権回収に頭を悩ました。

3  (販売拡大、売掛金回収関係)

販売拡大とか売掛金の回収について、ことさら特別のノルマが秀夫に課されたわけではなく、給料は月給制で、歩合給とか能率給というような仕事達成量が給料に反映する制度ではなかったが、収益が予算として計上され、これが販売目標額となり、これを達成し、業績をあげることが当然とされていたため、責任者の地位にある秀夫としては、職務に精励せざるをえず、前認定のような交通条件が悪く、かつ広範囲の地域を冬期という気候的な悪条件と闘いつつ、右目的のため出張せざるをえなかった。その結果後記認定のような度重なる出張も秀夫の肉体的、精神的疲労の大きな原因となった。

(二)  (出張、休日、休暇、時間外労働)

1  仙台支店の勤務時間は、午前九時五分から午後五時二〇分であり、昼休みは一時間、週休二日(土、日曜日)制であった。秀夫は大体午後六時頃退社していたが、退社後も得意先の接待が連日のようにあり、仙台支店在職中土、日曜日以外家で夕食をとったことはなく、午後一〇時前に帰宅したこともなかった。

2  秀夫は昭和五二年一月以降おおむね原告主張のとおり出張した。右出張は回数も非常に多く、広範囲にわたっている上、自動車使用が多く、肉体的、精神的疲労が多かった。出張に際し、乗用車を使用するか否かは建前上本人の自由であり、建材担当課員のうち秀夫の外は一名のみが乗用車を使用したに過ぎなかったが、秀夫としては、出張先は交通不便のところが多く、車でないと効率的な働きが出来なかったため乗用車によっていた。従って右乗用車による出張は一応の理由があったといわざるをえず、汽車や電車によれば疲労を防ぐことができたから自動車による出張はやめるべきであったとまでいうことはできない。なお四月二六日から二八日にかけての出張は、広範囲にわたり、秀夫の心身の疲労を甚しく増加させた(被告は秀夫の出張が営業関係の社員の中で特に多いというわけのものではないと主張し、更に前記四月二六日から二八日の出張は課員及び取引先の者も同行しており、運転も交代で行ったから、秀夫だけが特に疲労する状態におかれたものとはいえないと主張する。そして右主張に沿う〈人証略〉もあるが、右証言はたやすく採用できないし、〈証拠略〉は未だ右主張を裏付けるに足りない。)。

3  昭和五二年一月以降四月までの秀夫の休日、休暇は、ほぼ原告主張のとおりであったことは当事者間に争いがない。

(三)1  秀夫は仕事熱心で責任感強く、明朗な性格であり、飲酒、マージャン、ゴルフを好んだ(上司である証人西村健吾は、秀夫が社交家であると証言し、妻の原告紀子は、秀夫は人前に出ることは余り好きでなく、社交的ということはなかったと供述している。そして秀夫の本来的性格が社交的であったか否かはさておき、ともかく社交的にふるまっていたことは事実である。即ち前記のような多数の得意先や、顧客の接待、或いは、債権者集会における活動等もその一部であり、これによって精神的緊張をもたらし、精神的ストレスや肉体的疲労の蓄積を招来したものと推認される)。秀夫は生前健康に恵まれ、長年ボーイスカウトの活動家として鍛えた身体には自信を持ち、仙台支店在職中風邪をひいて一度休んだ外は身体の不調を訴えるようなことや、医者にかかるようなこともなく、健康を害して休暇をとるようなこともなかった。四月二三日には、「いわきカントリー」で取引先との懇親ゴルフコンペがあり、秀夫は幹事役として、前日の宴会、マージャン、当日のゴルフを元気にこなした。

2  秀夫は、昭和五一年一二月一日付で仙台支店勤務の辞令を受取ったが、被告の社宅の手配が不備であったため、やむをえず家族を東京の社宅に残し単身赴任し、昭和五二年一月二三日に家族が引越し同居するまで、ホテル住いを余儀なくされた。その間月のうち三回位東京に帰ったが、特急で片道五、六時間を要するため、東京の自宅に金曜日の深夜一二時過ぎに着き、日曜日に仙台に戻る生活は、疲労の一因となった。秀夫はそれ以前にはそのようなことがなかったのに、昭和五二年一月末頃からは仕事で疲れる旨妻に訴えるようになり、三月頃も帰宅が遅い日が多かったので妻がその実情を尋ねると、秀夫は「支店長が、考え方をすぐ変えるのでついて行くのが大変である」とか、「直属の部下がルーズでスケジュールが狂うので困る」とかの悩みを打ち明けたりしたことがあった。四月からは、妻に対し疲労を訴えたり、多忙をこぼす度合もふえ、使用していた衣類もL寸からM寸に変り、体格もほほ骨が高くなったのが目立つようになり、一度失禁したこともあった。寝汗をかくので、妻が医者に診てもらうことをすすめたところ、「四月から若い者が入ってくるから、そうすれば仕事が楽になるから」といって医者には行かなかったことがあった。四月二六日から二八日にかけ、山形、酒田、秋田、盛岡に出張したとき、秀夫が居眠り運転し、トラックに衝突しかけたこともあった。しかし秀夫の同僚、上司等も秀夫の憔悴や容貌上の変化には特段気付いていなかった。秀夫は「前任者の引継ぎが悪いため仕事がやりづらい」と妻にいっていたが、四月二六日から二八日にかけての出張が終って、「ようやくあいさつ廻りが一段落した」と秀夫は妻に話した。秀夫は四月二八日は夜一一時頃出張から帰り、二九日は一日家で寝ていた。四月三〇日、五月一日も在宅し、五月二日は出勤し三日は休日、四日は出勤し、五日は自宅から三〇分位の所に秀夫が車を運転して妻と行き、三時間位して帰宅した。六日は始め秀夫の知人の引越手伝のため、妻と一緒に上京する予定であったが、秀夫が疲労を訴えたため、妻のみが上京し、秀夫は出勤した。七日は秀夫は在宅し、昼頃テレビを横になって見た後子供らと昼食をとり、午後一時頃上腹部痛を起し、その後昼寝をし、午後六時頃胸部をおさえ苦悶を始めた。そして一時間位酸素吸入、人工呼吸がなされたが七時頃自宅で死亡した。体表には死因と考えられる損傷・異常は認められなかった。

三(一)  (証拠略)、鑑定人菱田仁士の鑑定の結果を併せ考えると秀夫は(イ)前認定のとおり多忙であったが、仕事の内容が主として坐業であり、激務のため定期的運動をする余裕がなく運動不足を来たしたこと(ロ)度々の出張による精神的、肉体的疲労が蓄積したこと(ハ)中間管理職として実質上の責任者であり、前認定のような各月の目標達成への圧迫、他の競合者との激しい競争関係、仕事をとりまく激しい状況等から精神的に負担が多く、かつ責任感強く、仕事熱心な性格から休日や退社後も職務から精神的に解放されない日常生活を送ったため慢性的ストレスを蓄積させたこと(ニ)仙台支店への単身赴任により生活の激変等をもたらしたこと、以上の経過のもとで秀夫の冠動脈硬化症は悪化し急性心筋梗塞を起し死亡するに至ったと推認するのが相当である。

(二)  してみれば本件秀夫の死亡と秀夫の仙台支店における勤務とは因果関係があるものと認めるのが相当である。

四(一)  ところで被告は秀夫と労働契約を結び、同人をしてその職務を遂行させていたものであるから、使用者として労働契約に基づき労働者たる秀夫の職場における生命及び健康を確保するよう配慮する義務を信義則上負っているものと解せられるところ、本件において右健康管理、安全配慮義務違反として被告に対し債務不履行責任を問うている。

ところで使用者は、労働契約に基づき、労働者の安全と健康につき配慮する義務があると解されているが、右義務は一定の身分関係に基づく一般的かつ無限定の庇護義務的なものではなく、労働契約履行の場における具体的結果発生阻止義務的なものであると解するのが相当である。即ち、使用者は、労働契約に基づく労働者からの労務提供を受領するに当り、時間、場所、方法、態様等を指示し、又は機械、器具を提供することが労働契約において、あらかじめ合意されている場合があり、かかる場合、使用者としては、右具体的な労務指揮又は機械、器具の提供に当って、右指示又は提供に内在する危険に因って労働者の生命及び健康に被害が発生しないように配慮する義務があると解するのが相当であり、右労務指揮等の場面を離れて、労働者の健康一般につき無制限の配慮義務が使用者にあると解することはできない。労務指揮等に関係がない場面における健康確保は労働者自身がその責任においてなすべき事柄であると解するのが相当であるからである。

(二)  以上の観点に立って判断すると、秀夫が被告との間に締結された労働契約存続中に健康を害し、死亡した一事をもって、使用者たる被告に安全健康配慮義務の不履行があるということはできない。

そこでつぎに被告がなした秀夫に対する具体的労務指揮に当って右義務の不履行があったか否かにつき判断するに、前認定の事実によると、客観的に観察する限り、秀夫は冠動脈硬化症ひいては急性心筋梗塞にかかる素因を有していたことは明らかであり、被告が秀夫に命じた仕事は、健康な者に対するものであれば特別苛酷、過重なものとはいい難いが、右の如き危険な体質、要因を持つ者に対する労務指揮としては過重な負担を課するものであったというべく、被告としては差当って出張を減らすとか、これができないときは他の職務を一部免除するなどして秀夫の負担を軽減する義務があったと解するのが相当である。するとこの点につき配慮を欠いた被告の右労務指揮は、秀夫の生命及び健康を確保するにつき配慮する義務を十分に履行しなかった不完全履行に当るものと認めるのが相当である。

(三)  そこで、つぎに被告の免責の抗弁につき判断するに、被告は秀夫の死の結果を予見することは不可能であったと主張する。そして客観的に判断する限り、前認定の事実からは、被告の死亡を予見することが可能であったことを認めることはできず、本件全証拠によっても、秀夫が仙台支店在勤中身体の不調を会社関係者に訴えるとか、肉体的、精神的疲労故に休暇を上司に申出る等の行為をしたことを認めることはできず、仙台支店の上司、同僚等が秀夫の身体の不調等に気付いたことも認められない。そして他に被告が秀夫の死亡を予見することが可能であったことを認めるに足りる証拠はない。

本来自己の体調の異常や健康障害の兆は、特段の事情がない限り、自己が真先に気付くものであり、これに基づいて本人自らが健康管理の配慮をするものである。しかるに秀夫自身医師の診察を受けたこともなく、わずかに妻に疲労を訴えていたに過ぎず、秀夫本人のみならず同居していた妻すらも異常を知らなかった。そのため秀夫に、医師にかかり治療を求めたり、健康診断を受けることを強くすすめてもいなかったことは前認定のとおりであり、換言すれば、右事実は秀夫ないしは家族すら秀夫の健康障害ましてや死の結果等を予見しうるような状況ではなかったものというべきであり、他に右予見を可能にするような事情の認められない本件においては被告がこれを予見することは不可能であったといわざるをえない。

この点につき、原告は、秀夫の仕事が苛酷であったから仮に秀夫が障害を訴えなくても、死の蓋然性があった即ち死の結果を予見すべきであった旨主張するけれども、前認定の秀夫の職務内容が一般的にみて直ちに死の結果をもたらすほどのものであるとは到底認められず、特に秀夫は課長補佐という管理職にあったことを考えると、過労による職務の軽減の措置を申出ることは可能であり、そうすべきであったというべく、秀夫がかかる措置に出なかった以上、右死の予見義務を被告に課することは相当でない。

(四)  更にまた原告は、適切な健康診断により死の結果を予見すべきであったと主張するのでその点につき考えるに、(証拠略)を併せ考えると、被告は別表第二の一・二、第三のとおりの健康診断を行ったこと(但し武智正幸分四七年一一月分は不明でなく、一一月に受診している)、秀夫の昭和三三年以降の健康診断・受診状況は、別表第二の一・二のとおりであること、心電図検査や血清コレステロール検査は本社指示がないことでもあり、仙台支店では行っていなかったこと、被告東海支店では心電図検査をやり、仙台支店も昭和五二年一二月からはこれを追加したこと、健康診断は当初の指定日以外でも受診できるよう代替日を指定することにより便宜をはかったが強制する方法はとっていなかったこと、昭和五二年四月二二日は支店長西村健吾が秀夫を検診に誘ったが同人は「私は大丈夫だからまた後で」といって受けなかったことが認められる。

(五)  以上の事実からみると、秀夫は職務が多忙であったとはいえ、健康診断受検のための余裕を作るため上司に申出るとか、自ら仕事内容を調整することは立場上可能であったと推認されるにも拘らず、かかる所為に出たことを認めるに足りる証拠もなく、又本件全証拠によっても被告において強制的に秀夫に健康診断を受けさせる義務があったことを認めるに足りない以上、秀夫は自己の健康に対する過信からか健康診断受検を怠ったといわざるをえず、その責任は同人が負うべきものと判断される。更に鑑定人菱田仁士の鑑定の結果によれば仮に前認定の昭和五一年六月二八日、昭和五二年四月二一、二二日の両日に行われた健康診断を秀夫が受検していたとしても、その内容からは冠動脈疾患の有無を見出すには極めて不十分であり、冠疾患危険因子の存在を予知し、本件死亡を防げたと推認することはできず、本件死亡の危険を予知しうべき健康診断の内容としては、被告の実施項目の外心電図検査、血清コレステロール値測定、詳細な問診を行うことが必要であったことが認められるところ、労働安全衛生法、労働安全衛生規則には右各項目について実施義務を定めていない。確かに右規則は最低限を定めたものであって右内容のみを実施していれば使用者は常に被用者に対する健康管理義務を尽したとはいえないことは勿論であるけれども、秀夫の地位、職務内容、年令、従前の健康状態等からみて、被告が実施した前認定以上の内容の項目の健康診断を強制的に秀夫に対してすべきであったとまでいうことは到底できない。従って被告において予見義務違反があったとはいえない。

(六)  以上によると、秀夫の発病ないしは死について、被告には予見可能性がなかったものというべく、結局被告の前記生命ないしは健康確保義務不履行は、被告の責に帰すべき事由に基づかないものといわねばならない。

すると、被告の免責の抗弁は理由があるから、原告の債務不履行を理由とする請求は理由がない。

五  つぎに原告らの不法行為構成に基づく請求につき判断するに、被告において秀夫の死の結果を予見することが不可能であったことは前記四(三)ないし(五)認定のとおりである。すると被告には過失はなかったものというべく、その他被告の故意について立証のない本件においては、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの不法行為を理由とする本訴請求も理由がない。

六  結び

以上によると、原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上孝一 裁判官 佐藤壽一 裁判官 福崎伸一郎)

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